雑記 (20240326)

昨日読んだ本に、釈迦が無益な空想を戒めたという話があった。
曰く、宇宙の果てがどこにあるか、とか時間の始まりと終わりはどうなるのか、といった取り留めのないことは考えるだけ無駄だから考えても時間の無駄だ、とのこと。
私は、今まで何か考えを巡らすことには何らかの利益があると考えていた。考えることは、ある程度の気力と体力を消耗する。疲れ果てている時には何も考えられなくなる。
であれば、考えることは筋トレのように何かを鍛える効果があるのだと思っていた。
考えること自体が楽しい人であれば、考えること自体を目的とするのであれば、それで良い。
だが、考えることによって何かを得ようとするのであれば、考えた結果を実生活に活用できなければ意味がない。
だから、考えても何の結論に至らないことは考えても意味がない。

でも、例えば「何のために生きるのか」という問いを考えることが無意味とは思えないのはなぜだろうか。
この問いから生まれた考えが、実生活に活きてくる可能性が高いからか?